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高橋 亨(たかはし とおる、1878年12月3日 - 1967年9月4日)は、日本の朝鮮学研究者。 == 経歴 == 新潟県中魚沼郡川治村の大字高山一番地に、父・茂一郎、母・きいの長男として生まれる。 1898年、第四高等学校を卒業すると東京帝大の文科大学に入学し、1902年、同漢文科を卒業する。卒業論文は「漢易を難して根本博士の易説に及ぶ」。また同年、九州日報の主筆となり、博多に移る。 1903年、大韓帝国政府の招聘を受けて、幣原坦の後任として官立中学校の教師となる。1909年、『韓語文典』を、1910年、『朝鮮の物語集附俚諺』を刊行する。この頃より、朝鮮の風俗調査に着手し、寺内正毅に朝鮮文献の収集を進言し、採用される。1911年、京城高等普通学校の教諭となり、それと平行して朝鮮総督府の宗教調査や図書調査の嘱託を勤める。同年、普通学校用諺文綴字法を定めるための会議に委員として携わる。1916年、大邸高等普通学校長に任じられ、高等官五等に叙される。1919年、学位請求論文「朝鮮の教化と教政」を提出し、文学博士の学位を受ける。 1921年、朝鮮総督府視学官となり、高等官三等となる。また、1921年から1922年にかけて米国や欧州の大学を視察し、1923年、京城帝国大学創立委員会幹事となる。1926年、新設された京城帝国大学教授となり、法文学部の朝鮮語学文学第一講座の担当となる。高等官二等。1929年、諺文綴字法の原案が作成されるにあたって第2次調査会の委員に加わり、1911年に続き朝鮮語の正書法の制定に関わった。1931年、高等官一等。1940年、京城私立恵化専門学校長となり、京城帝大教授を退官し名誉教授となる。 翌1941年、四男・竜四郎の妻の郷里、山口県萩市に隠遁するが、1945年、京城経学院提学および明倫錬成所長となり、再び京城に移る。さらに、政務総監の賛意を得て農士学校の建設に取りかかるが、候補地の選択中に終戦となり、同年10月、再び萩市に引き揚げる。 1946年、易者となり「純粋易断」を開業するが、1949年、福岡商科大学(後の福岡大学商学部)教授となり、再び学問の世界に戻る。1950年、天理大学教授に招聘され、朝鮮学会を発会させ、副会長となる。朝鮮学会は天理大学長が会長となることが定められており、副会長が事実上のトップであった。1964年、天理大学を辞し、天理大学名誉教授第一号となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋亨 (朝鮮学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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